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2009年3月

2009年3月27日 (金)

深夜の座席争奪戦

私のブログをサンフランシスコのまことさんが紹介してくれました。

まことさんのブログには、PRRTに関する情報も詳しく書かれているので、

興味がある方はぜひ見てくださいね!

まことin サンフランシスコ

http://peachgarden21.blog.shinobi.jp/

さて、無事に治療を終えて、帰路につくため空港へ。
チューリッヒ空港は広〜くて、車イスを頼まなかったことを後悔。

チェックインカウンターは物凄い混雑ぶりで、
係の女性(オバサン)は殺気立っていた。
列に並ぼうとすると、片っ端から自動チェックイン機を使うように言うのだが、
この自動チェックイン機が使いにくいのか、私達に聞いて来る人も。

娘は最初に言語を選ぶのを忘れて、ドイツ語表示でチンプンカンプン。
英語を選択し、やり直し。誤操作をしてまた振り出しに戻る。

結局カウンターに並び、私達の番が来た。粘り勝ち。

Dr.Mullerが作成した放射性物質での治療をしたという証明書を出し
少しでも楽な座席をとってもらおうと交渉を試みたが
逆に「for What??」と噛みつくように言われちゃいました。angry

娘が絵を見せながら、何とか最後列の空席に囲まれたところをゲット。
ふ〜、やれやれ・・・。どっと疲れてしまいました。


免税店で留守番の夫におみやげのスイスワインを購入。
さて、味のほうは?

飛行機の中では、暗くなるとあちらこちらから人が移動。
どうやら、後部座席の空席で少しでもゆっくりしたい様子。

12時間、狭い座席に座りっぱなしだしね・・
幸い、私達はCAにも事情を話して了解を得ていたので
3人掛けに娘、4人掛けに私と、それぞれゆっくり横になることができた。

いやぁ〜、それにしても、チェックインカウンターの人、怖かった。

2009年3月21日 (土)

PRRTのその後

一番初めに書いた治療の経過の続きです。

バーゼルでは、レストランがばか高いのでrestaurant
滞在費を抑えたい私達親子は、昼食、夕食を買い出しに行くのが日課。

面白いことに、寒空の中、街角でサンドイッチ(しかもハード系のパン)を
立ち食いするサラリーマンや、若い男女を良く見かけた。

暖かい飲み物がいつでもコンビニで買える日本が懐かしい!!

治療を終え退院した翌日、無謀にも世界遺産の街・ベルンまで出かけ、
娘がかねてから見たかった「パウル・クレー」センターへ。

電車とバスを乗り継いで移動する間に
私の体調はどんどん悪くなり、
センターで昼食を済ませたら背中の痛みのせいで
歩くのもつらい状態。

せっかくベルンまで行ったのに、クレーの絵は何も見ず。Photo_2

帰りに、有名なチョコレート屋さんで「熊のチョコレート」を買うのがやっと。

ベルンは街を開く時に、文字通り「熊」を退治した歴史の街。
かわいそうな熊達。






しかし、私は首の後ろが熱く、背中は痛く、
一刻も早くベッドになだれ込みたい。

案の定、この日からDr.Muller に予言された通り、
これまで以上の強い「反応」が出た。
高熱39度6分。何度も汗をかき着替えてこんこんと眠る。

持参したロキソニン、フロモックスを服用して何とか熱は下がった。

この反応には帰国してからも10日くらい痛みが続き、
朝、夕、オキシコンチン10mgを服用してしのいだ。

熱と、食欲不振とでかなり体重が落ちてしまったので、
身体に力が入らずへろへろ。

翌週の外来では、主治医から「栄養失調だから、補給する必要あり」とのこと。
他は異常ないので一安心。栄養補給ドリンクを処方された。

よ〜し、美味しい物食べよう!!

美味しい物があふれている日本に帰れて幸せ!!!lovely


少しずつ体力が戻り、体重が増え始めた頃、
ふと気がつくと、以前のような痛みも熱も全く嘘のように消えていました。

主治医からも、肝機能が良くなり、蛋白合成能力も上がってきたと言われ
「PRRTの治療の効果だね〜」と喜んでくれました。

「なんとか、日本でもこういう治療の道が開けないものか、
自分も努力しているんだけどね・・・」

主治医の姿勢に心から賛同。

患者の側からも、臆せずに新しい治療法を求める声を上げていく必要があるんですね。







2009年3月10日 (火)

キーマン

人生には、「もし、この人と出会わなかったら今の自分は無い」
と、思わせるような出会いがあると実感しているけれど、
この時の私にとって、Tさんご夫妻がそういう人達だった。

バーゼルでの治療を決心した翌日、主人の営む設計事務所に相談に来られたお二人。
理想の「家」について様々にお聞きしていて、お二人の経歴が話題になり
奥様がシュタイナー療法の療法士とわかり
主人が私の病気と、スイスでの治療のことを話題にした。

すると、なんと驚くことに、
Tさんご夫妻の出会いは、バーゼルから10分のゲーテヌアムでだったことや
長期滞在の経験あり、今でも年に一度は出かけて行くとのこと。

ご夫妻から、今は家のことより、
ふくろう猫のスイス行きを応援しますと言ってもらって、
絶妙のタイミングで出会ったお二人に背中を押してもらった形。

とても有り難かった。

海外での治療に対する不安、右も左も分からない土地、
言葉もろくに喋れないプレッシャーなど、
不安だらけの私に、一つひとつ具体的な情報を与えてくれた。

バーゼルに行くには、成田→チューリッヒの直行便を利用した方が早いこと。
チューリッヒからバーゼルまではSBB(日本でいうとJR)で1時間だし、
本数も多く便利なこと。
痛みや身体の不調は大げさなくらいに訴えるべし。車イスを借りて少しでも楽すること。
日本と違って、黙っていても何もしてくれない。

飛行機の中ではびしょびしょに濡らしたマスクをして
乾燥を防ぐ技も伝授された。
言葉の面でも、殆どの公共機関がドイツ語、フランス語
英語に対応しているのでどれかが分かれば何とかなること、
EX-wordがあると非常に便利なことなど
本当に至れリ尽くせりお世話になったのでした。

もし、通訳が必要ならばということで、知人を紹介してくれたり・・・
このお二人との出会いが無ければどうなっていたことやらsad

そしてまた、私の精神的なよりどころ、憧れ、尊敬してやまない方の訪問など。
決意してから出発するまでは、特別な時間となったのでした。

この期間も38度を越える発熱が続いたりして、解熱鎮痛薬のロキソニンと
抗生物質のフロモックス、肝臓の部分の痛みにはオキシコンチン10mg、
頓服としてオキノームなど、薬は手放せない状態。

でも、私を応援してくれる人の気持ちを思うと、
不安は無く晴れ晴れとした気分でした。

Photo バーゼルの宿泊先の裏手にあった教会。

きれいな朝焼け。

2009年3月 8日 (日)

信頼

Mさんのブログによれば、治療はたった3日間の入院ですみ、大した副作用も無いとのこと。
しかもヨーロッパでは10年以上の実績があるという。

こんな画期的な治療法があったとは!

まさに目が開かれるという思いで、すぐにMさんへメール。
膨大な資料を添付した返信をいただいた。
辞書を引き引き、何とかざっと目を通した。
主治医から治療歴やその他の検査データを用意してもらう必要がある。

こんなことをお願いしたら、気を悪くしないだろうか、
「準教授であり、肝胆膵の専門医の主治医」VS[海外で治療を受けたい患者」ハァ〜・・
そんなことを考えていたら、だんだん気が重くなってしまった。

しかし、自分の病気を治すのはほかならない自分なんだ、と気持ちを立て直す。
ダメでもともとさっ!  そう、それが私の信条。

思い切って手紙を書くことにした。これまでの治療への感謝と、今の不安などを書き、
MさんのブログがきっかけでPRRTという治療法を知ったこと、
希望を見出したこと、私もぜひ受けたいと思うことなどを書きつづって、
Mさんから頂いていたASCOの論文、バーゼルの病院が治療に関して
患者向けに提示している文書などを同封し、主治医宛に郵送した。

次の外来にはドキドキしながら出かけて行った。
すると、なんと驚くことに、英文翻訳した治療歴などをすべて用意していてくれたのです!!
内心、こんなにうまく物事が展開していくなんて、信じられない、と思ったのでした。

これは行くしかない。言葉や費用の問題もハードル高いけど、きっとどうにかなる!

家族も協力すると言ってくれ、娘からは、「こんなことでもなければスイスなんて
一生行けないよ」と言われた。本当にその通り。実家行きさえ、飛行機嫌いで億劫な私。

2009年3月 6日 (金)

抗がん剤からPRRTへ

サンドスタチンの筋注を続けて1年半経過。
肝臓の腫瘍が増大してきたため、2008年4月から抗がん剤を試してみようということになった。( ̄Д ̄;;
ジェムザール、テモダール、そしてTS-1のどれか。
比較的副作用が少なく、自宅で服用できる手軽さから、TS-1の25mgを試すことにした。
1回2カプセルを朝、夕と1日2回服用していると、
3〜4日経った頃から爪の半月のところが黒くなり始め、
顏は、黒いベールを1枚ずつ重ねてかけていくように黒ずんできた。
そして異様な倦怠感と疲労感。6月からは量を半分に減らしてもらった。

抗がん剤を飲み始めたものの、腫瘍マーカは期待したほど下降しない。
CTではさらに肝臓の腫瘍が増大、服の上からも分かるくらいみぞおちが膨らんできた。
このころ、腫れた肝臓のせいで、無造作に寝返りをうてず、妊娠後期の妊婦みたい。
胃には静脈りゅうも指摘された。

胆管炎だと言われる高熱、そして少しずつ痛みが強くなってきた。
だんだんと気持ちが落ち込んで行く。

昼間も横になることが多い私を慰めてくれたのは、今年13歳になる灰色のオス猫。
見守るように、そばにずっと居てくれる。

 

Ipod_shuffle

 

この頃一番困ったのは食事のことだった。
私ができないぶん夫の負担になってしまうのだが、自営業の夫には時間が無い。
夕食は特に、食事らしいものが食べられないことも・・・。
そんな時、心強かったのが友人からの差し入れ。
手作りのものを届けてくれたり、食べに連れ出してくれたり・・
本当に嬉しくて有り難かったsunnotes

抗がん剤の効果が判然としないまま10月を迎え、今後どうなっていくのかが知りたい。
週1回から2回は高熱がでるため、黄疸と腹水に気をつけるよう言われる。

気持ちがうつうつとしてきて、ダメモトでネットで病名で検索をかけてみた。
なんと、新しい情報がヒット!!
サンフランシスコ在住の女性まことさんがPRRT という治療を受けたとあった!














2009年3月 4日 (水)

膵内分泌腫瘍との付き合い

初めに病名を聞いたときは、聞きなれないその名前に首をかしげるばかり・・sweat01
ただ、病気の進行が比較的ゆっくりだということ、
これといった確定した治療法が無いことだけは耳に残った。

猛然とネットサーフィンをした結果、京都大学病院と名古屋大学病院で
比較的分かりやすい説明を見つけ、ファイル。

膵臓ガンとどう違うのかは理解できたが、東北には内分泌腫瘍専門の医療機関が殆ど無く
精密検査を受けたO病院では、これまでほとんど症例として取り扱っていなかった。

手術不可と言いながらも着々と手術に向けての段取りを始める担当医。
病名を告知された時も15分しか時間が無いので・・などと平気でのたまうし、
この頃には担当医への不信感で一杯になってしまった。
セカンドオピニオンを受けたいと申し出て、草々に退院。

友人からも紹介されたT北大学病院を受診。やはり、多発肝転移ありのため、
手術は不可。(やっぱり・・・)
ただし、サンドスタチンという抗ホルモン剤が有効かもしれないとのこと。
肝生検で細胞診をして確かめることになり、1週間だけ入院となった。

病室は外科病棟だったので、術前術後の患者さんと同室。
まだ20代の若い女性が人口肛門を付けたばかりだったり、胆嚢と脾臓を摘出した人など。
肝生検の結果待ちの私は一人だけ毎日のんきに過ごしていた。

抗ホルモン剤が有効との結果が出たので、それから1週間は皮下注射を受けることになった。
この注射の痛さときたら・・・大人でも泣きたいくらい shock
お試し期間終了で顕著な副作用なし。おならが頻繁に出て困るくらい。

これ以降2年近くの間、1ヶ月に1度のお尻の筋肉注射(LAR)を継続。
ガンだけど、こんならくちんで良いのかしら??

しかし、そこはやはりガンだけに徐々に肝臓で自分の居場所を拡大しつつあったのです。

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