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2011年3月

2011年3月29日 (火)

石のスープ

「石のスープ」
奇妙なタイトルですが、最近ふと思い出したポルトガルの昔話。

とにもかくにも「生きのびる」が最優先だった段階から、
今の方が、復旧という未来への展望を持つのに困難な厳しい現実に直面しています。
心が折れそうになったり、殺伐とした気持ちになりがちな私たちに必要なのは、こういう頓智じゃないかしら・・と思っています。

ずっと昔、子供に読み聞かせていたころ、私の心にも深く入り込んで忘れられない内容でした。


これはマーシャ・ブラウン作の絵本で、タイトルが違いますが同じ内容です。
「せかいいちおいしいスープ」


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あるところに、3人の兵隊さんが、見知らぬ道をとぼとぼ歩いておりました。
戦争が終わって、故郷へ帰る途中だったのです。
兵隊さんたちは、もう丸二日も、何も食べておりません。
くたくた、腹ペコの体で、ただひたすらとぼとぼ歩いていたのです。

すると、ある村にたどりつきました。
ここなら少しの食料を分けてもらって、納屋の隅にでも寝かせてもらえるかもしれません。
兵隊さんたちは頼んでみることにしました。

…ところが村の人たちにとっては、こんな兵隊さんは時々やってきますから、食料や寝床を分けるなんてまっぴらな話。
牛乳もキャベツも牛肉も、急いでかくしてしまって、「何もありませんよ。私たちも腹ペコなんです」とうそをついて断りました。
一軒一軒頼み歩いても、食料もダメ、寝床もダメと断られ、3人の兵隊さんは話しあいました。
そして村の人たちと一緒に石のスープを作ることにしたのです。

まず3人の兵隊さんは、村の人に一番大きなお鍋と、バケツに何杯もの水と、できるだけつるつるの石と塩と胡椒を持ってくるように頼みました。
村人たちは協力します。だって、石でスープができるなら、ぜひ覚えておきたいと思ったからです。

ぐつぐつといい具合に煮たってくると、兵隊さんは言いました。
「石のスープがおいしそうにできてきましたよ。これだけでも十分おいしいのですが、ここにニンジンがあれば、もっと美味しくなります」

するとニンジンを隠しておいたおかみさん、「あら、ニンジンの1本や2本ならどこかにあるかもしれないわ」
といって家に戻り、エプロンにどっさりとニンジンを包んで持ってきます。

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ニンジンを入れながら、また兵隊さんは言いました。
「これだけでも十分おいしいですがここにキャベツがあれば…」
すると今度はまたキャベツを隠していた別の人が、家に飛んで帰り、たくさんのキャベツを抱えて持ってきました。

さらに兵隊さんは言います。
「ほんの少しの牛肉があれば、…」
「ほんの少しの牛乳と大麦があれば…」

そして出来上がったのは王様が召し上がるぐらいにおいしい、絶品の「石のスープ」だったのです。

村人たちは大喜び。だって石でスープを作る方法を教えてくれたのですから。
これから一生食料に困ることもないでしょう。
村人たちは兵隊さんたちに感謝して、村で一番いい寝床も用意してあげました。

・・・・・・・・・・・・・・・

このお話を聞くと、自分でも作ってみたくなってしまいます。
できるだけつるつるの石を探してみたりして・・

兵隊さんたちは、頓智のきいたやり方で自分たちの求める物を得ただけでなく、村のみんなも何かを得て笑顔になりました。


今、未曾有の大災害に見舞われた私たちにとって、
東電や政府に、
あるいは原子力を推進して来た人間達の責任を問うとか、
誰がこの混乱を招いたのか、問いつめたい衝動に駆られます。


でも、それよりも何よりも、「人として」失ってはいけない大切なことがあると思われてなりません。
今まで何を豊かさだと思ってきたのか、
それはこの体験を通しても価値の変わらないものだったのか、
それとも間違っていたのか、
もう一度自らの心に問い直したいと思います。


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2011年3月25日 (金)

ひとり地震??

11日の震災以来、東北では寒さが厳しくて避難所生活が堪え難い方もいらっしゃることでしょう。
一日も早く灯油が供給されますように(ノд・。)


私の住んでいるところでは、一昨日あたりから、灯油、ガソリンの供給がようやく復活しつつあり、やっと安心して暖房をつけられるようになりました。(*^-^)
それだけでなく、お隣の建築現場から廃材をたくさんわけてもらいました。薪ストーブも使えてずいぶん助かっています。

弟が避難して家族が4人になり、たった一人増えただけなのに、何かずいぶん大家族になったような気がしています。
今朝、お見舞いに来た方の家には、避難してきた親族を含め、なんと11人家族に膨れ上がったそうでした。「水汲みが一番大変だった〜」と苦笑い。
毎食、9合ものご飯を炊いていたとか・・∑(゚∇゚|||)
トイレに流すための水を一日60リットルも必要だったとか・・w(゚o゚)w
発電機、炭、火鉢などがそろっていたのでかなり助かったそうです。
この方の家では、小さい子達は一人っきりになることを極端に恐れるようになり、夜になるとまた地震がくるんじゃないかと怯えているとのことでした。


今朝、夫と弟は石巻に親戚や避難所の様子を見に行きました。私と夫が所属している団体からの救援物資を積み込んで行きましたが、これから何度も往復する必要がありそうです。

阪神大震災の時の智慧や経験を生かせないのかという意見がありますが、
ここ数日の寒波の戻りで、夜は氷点下まで下がる寒さと、地理的に寸断されていることや、
ガソリンが乏しくて、交通手段も車以外に無いため、車がなければどこにも行けないという困難が幾重にも壁となっていることを歯がゆく思います。

それに加えて福島の原発の問題までも・・・
被災地から逃げる事もできず、いい加減な情報だけしか知らされていない。
私たち東北人だけの災害ではなく、エネルギー政策を誤って来た日本全体の問題ですし、それを黙認して来たわたしたち一人一人の問題。
大きな犠牲を払った私たちにとって、これからどんな生き方をしていきたいのか、今こそ真剣に考える機会ではないかと思っています。

太陽光などを取り入れたできるだけエネルギー効率の良い暮らし方に転換するとか、原始的な熱源を確保しておくこととか・・
私の知人にストローベイルの家づくりを試みた人がいます。
断熱材として「藁」を使って壁を漆喰で塗り固めた「藁の家」です。
今度の地震の被害がどうなったのか、まだ聞いていませんが、軽くて断熱に優れていて、修復が容易な「藁の家」なんて、面白いかもしれません。
もちろん、熱源は薪ストーブ。

こちらはとあるキャンプ場に立つ「藁の家」カフェ

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でも、残念なことに、都会的ではありませんね・・・

地震以来、私自身も含めて家族や友人も、いつも地震が起きているような錯覚に悩まされています。
「ひとり地震」と名付けてますが、震度4以上の余震が70回以上起きているため、一種の「乗り物酔い」のような症状だそうです。耳鼻咽喉科を受診する人が増えていますが、辛い人は乗り物酔いの薬を使うなどして、できるだけ規則正しい生活をすることが防止策だそうです。


早くあったかくなってよ〜。

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タオちゃんの脳内イメージ。


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2011年3月19日 (土)

被災生活・9日目 絆は何よりもの希望

3月18日〈8日目〉

今朝はひときわ冷え込んだ。寒くて起きられない。市内が氷点下4度との予想だったので、この辺りはもっと寒かったはず。多分氷点下6度くらいか・・・。
日中は4度くらい。今日は一日中暖房無しではかなりつらい。
たまりかねて薪ストーブに火を入れている弟。
残り少ない薪を見ながら、お隣の建築現場に廃材が沢山あることを思い出した。
そうだ!大工さんが来たらもらえないかどうか交渉してみよう!!


昼前、夫と弟が近くのスーパーに食材を仕入れに行ってくれた。
意外なほどたくさん買い求めて来た。
新鮮な野菜(白菜、キャベツ、ブロッコリー)じゃがいもや長ネギ、やまいも、玉ねぎ、肉、魚も。
少しずつ供給の見通しが立ちつつあるようでほっとする。
今日も昼ご飯は残りのカレー。カレーが沢山あったので助かる。

それにしても、と、義弟に不思議がられているのが、私たち一家の落ち着きぶり。
食料の蓄えも大してあるとも思えないのに、あまり切迫感が無いと言われてしまった。
たしかに、避難所によっては食糧難のために殺気立った状態もあるとのこと。申し訳ないことだ。

でも、なによりも有り難いことに、私が病気になって以来、色々な人との絆に助けられてきた。
今までもそうであったように、本当に逼迫したらみんなで助け合ってなんとか生き延びて行かなくては、と思う。
書き忘れていたけど、地震の翌日にフラワーレメディを届けに来てくれたパスタイムの○上さん。
ペット用にと届けてくれた「レスキューレメディ」

強いストレスにさらされて情緒不安定になっていた友人のお母さんに分けてあげましたよ〜。
実は遺体安置所の光景がトラウマになりそうだった夫にもひそかに一服盛ってやりました(笑)


私が所属している団体の事務所には東京、中京、近畿地方からの救援物資が大量に届けられ、むしろ配布に困っているとの情報もあった。もっと困っている人はいないか、電話作戦。私にも在宅でもできる援助活動をしよう。

昨日、今日と、やっと固定電話が復旧しはじめた感あり。
遠くの友人や親戚、知人達からようやく繋がったと言って半泣きになって電話がかかってきた。
心配かけてごめんね・・でも災害用伝言ダイヤルは全くと言っていいほど機能していなくてしばらくは連絡しようが無かったものね。auは携帯がなかなか通じない状態が続いていた。

今回、娘のネットワークは見事に機能していて関心してしまった。若い人達のスキルの高さと柔軟さには感嘆する。情報化社会という時代の申し子たち。

3月19日〈9日目〉

今朝もいくぶん寒さがゆるんだというけど布団から出るのに勇気がいる。
家の中でも5度以下。体育館などに避難していて、寒さやストレスによって体調が悪化し、亡くなってしまうお年寄りが出て来た。本当に切ない。

雪が降ると大喜びする我が家の猫さん、放射能の含まれた雪じゃないかと神経質になる娘。
でも、この人はそんなことお構いなし。
こんな時にいつもと変わらずに無邪気な様子を見ていると本当に心が癒される。

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昼過ぎに郵便物が沢山届いた。娘の友人からの救援物資。お菓子がたくさん。
義弟のためにも下着や靴下まで・・・・

ほんとうにほんとうにありがとう!!o(*^▽^*)o

郵便局OBの友人からの情報によれば、小口の郵便物で4キロくらいの重さまでなら送れるとのこと。

被災地では着の身着のままでようやっとの思いで逃げた人ばかりです。知り合いがいたら、下着や衣類を送ってあげたら喜ばれるかもしれません。

昼過ぎには秋田の仕事仲間がお米を届けに来てくれました。
よかった〜〜!!!しかも、無洗米だって!!!ありがとう!!

私の住む地域は本当に恵まれた地域です。
きっと来週から通勤や通学も始まり、徐々に何事も無かったかのような日常生活へと歯車が回り始めていくことでしょう。でも、確実に大きな衝撃を体験した私たちの今後は、これまでとは同じではないはず。私を含めて周りの友人、知人、ひとりひとりが一番大切なもの、大切な人をこの震災を機会に再確認したと口にしていました。
そのことをしっかり胸に刻んで再出発です。
とりあえず今日で「被災生活」のブログはひとまず終わりにしようと思います。

これからずっと続く復興への道のりは、相当なエネルギーを傾注しなくてはならないことでしょう。
家族を失い、家屋を失い、生活の基盤さえも失って放心状態の人も大勢いますが、それでも前を向いて生きることが生き残った私たちのしなければならないことですし、震災や津波の前よりも、もっと強い太い絆を作って行きたいものだと痛感しています。

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2011年3月18日 (金)

被災生活・続報

3月16日〈6日目〉


義弟が生還したのを皆で喜んだ夜、親戚のうちでも消息が分からない人達のことが話題に上った。
石巻の叔父の一人は、足の悪い奥さんの後から避難していて濁流に呑まれていったとのこと。夫はその叔父を捜す為に遺体安置所にも足を運んだのだった。40人位の遺体との対面。かなりしんどかっただろうな・・・しかし、叔父は見つける事ができなかったそうだ。
他にもあの人はどうなったのだろうかと案じる人が沢山いる。

避難所にいる間にも誤報による「大津波警報」をヘリが空中から報じていたとか、こういう時によりによって被災者を無用に動揺させないで欲しい。


16日の時点では、とりあえず電気は使えるし、水も出る。安心してトイレが使える。お風呂にも入れるし、初めの頃に比べれば別世界。
日中の余震はかなり減ったように思うけれど、体感できないものも含めてマグニチュード3〜5レベルの余震が500回近く頻繁に起きていたようだ。

あんまり頻繁に揺れを体験していると、なんだか感覚が変になってしまっていつも揺れているように感じている。
今日はとりあえず差し迫ってやることも無い。昼食はインスタントラーメンに野菜いためを乗せて食べた。その後は、なんだかほっとしたのと疲れがたまっていたのとでみんなコタツの周りで寝てしまった。私もお昼寝。寒いのでセーターを着たままで布団に潜り込む。


いつのまにか、娘と夫がTwitter上でみつけた営業中のケーキ屋さんに行って来たという。
チーズケーキトモンブランを我が家の分と友達の分も買ってきた。Tさんも加わって皆でお茶。
被災中なのになんて優雅なお茶の時間。思いがけない楽しい時間が過ごせたようだ。
夜はカレー。なんだかこんな時のカレーはいつも以上に美味しく感じる。

3月17日〈7日目〉

今日で地震から丁度1週間。
今朝はかなり寒い。ずっと湿り気の多い雪が降り続いている。
朝食はご飯とわかめのみそ汁。

さて、今日は一日低温が続く。どうやって暖をとるか工夫をしなければ・・
できるだけ一部屋に集まっていようとするのだが、長時間お互いに顔つき合わせているのも疲れる。
今日はお風呂を湧かす日にする。近所の友人にお誘いメール。

昼前に、娘のバド仲間がもらい風呂にやってきて、危機一髪津波から免れた話をしてくれた。
なんと地震の当日、仕事で石巻の最も津波の被害が大きかった地区に仕事で行く予定だったのだという。けれど、お父さんが病院で不安定になったため呼び戻されて助かったのだ。

昼ご飯にはみんなでカレー。普段なら殆ど交流の無い義弟と娘のバド仲間が、この災害を生き延びた者同士として同じ食卓を囲んでいる不思議。こういうささやかなことがなんだか楽しい。


夕食はそれぞれの好みのカップ麺と雪菜のおひたし。リンゴ。
夕方、お風呂に相次いで入る。浴槽にたっぷりのお湯!
そこに身体をゆっくり沈めて入るのは、そう、丁度1週間ぶりなのだ。

友人の娘は「おくりびと」の会社の事務をしているので、遺体安置所に派遣されて行く納棺士のはたらきぶりを聞かせてくれた。あらゆる場所でそれぞれの仕事を果たす人がいることを思う。
福島原発で危険を顧みずに働いている技師たち、被災地に派遣されている自衛隊員、消防や警察の人達、そして連日報道陣の前でコメントし続けている枝野さん・・・・

自分たちの身内の消息がわかってほっとしたけれど、遠くの被災地域にいる知人の消息が気がかりだ。
どうかどうか、一日も早く無事が確認できますように・・・・


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2011年3月17日 (木)

被災生活つづき

3月14日〈4日目〉

昨夜も余震が続いた。寒さに震えながら起きる。
 
上の街区にテレビを見せてもらいに行き、携帯の充電をして帰った。
電気の復旧は思った以上に早く、あと道路一本で我が家まで辿り着くはず。

もしかして、と思ってブレーカーを上げてみると、
やったー!!点灯!!この夜はしみじみと文明の利器を実感。寒いけれど明るいだけで心が和む。
灯りは、太古の昔から遺伝子に組み込まれている原始的な恐怖心を癒してくれるのだろう。
それでも節電のためにこんなものを借りてきた。

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朝、新聞が届いていたが、ショッキングな写真が一面トップ。

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夫の実家の石巻の被害が思っていた以上に大きい。
ただ一人の家族の弟とはずっと連絡が取れないまま。すぐに避難してくれただろうか・・・
地震の後、津波が襲うまで20分しかなかった地域らしい。20分でどこまで逃げられるのか地図で確認してみると、裏山にある中学校だった。
娘がgoogleの安否情報を利用して石巻の情報を集めているが、今のところ消息が辿れない。
あまり悪い想像をしないように努める。

近所に家では水が出ると聞き、早速もらい水。そろそろ浴槽の水も残り少なくなって来た。
小さなポリタンクしかないので何度も往復。旅行用のキャリーバッグに4リットルのペットボトルを数本入れてごろごろ引いて行く。
家の前の道路には、遠くの街区から小学校での給水を求める車が長蛇の列。

こんな時にこそ、「ご近所の底ちから」と実感。

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娘のバドミントン仲間からいつのまにか救援物資が届けられていて感激。カップラーメン、チョコレート、ソーセージなどが入っていた。本当にありがとう!!新潟からの帰り道に買い求めて知り合いに配布しているのだという。なんて奇特な人なんだろう。普段の印象だけでは人は推し量れないとつくづく思う。


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3月15日〈5日目〉

朝一番に夫の従兄弟が石巻まで捜索に行くとの事。早速、救急用の薬や毛布などを持って行こうと準備。最悪の場合、遺体安置所も見て回る覚悟で出かけて行った。

私たち二人は今日も水汲みに精を出そう!!
3往復してなんとか浴槽に半分くらいまで入れられた。灯油は大丈夫だからこれでお風呂を湧かせるかも・・すると、蛇口から水がポタポタ。なんだ〜!!出てるじゃない!!

早速お風呂を沸かす。頭を洗えた。Tさんにも入ってと誘う。友人宅はオール電化の家のところでもらい風呂したとのこと。それぞれに日頃のおつきあいを頼って助け合いしている。

夕方、夫が弟を見つけたと連絡してきた。高台にある中学校に避難していたそうだ。
とにもかくにも良かった良かった。生きていてくれた。
なんと、車で寝起きしていたのだという。避難所が電気も点かず、食料も不足し、何よりも寒いのに閉口して車にいたのだとか・・
急激に冷え込んで来たし、今日あたりが限界だったかも。
まずお風呂に入ってもらい、みんなそろって夕飯を食べた。感無量。

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被災生活7日目

11日の未曾有の震災より1週間がたちました。
皆さんからTwiterを通じて、あるいはメールで励ましのメールをいただきました。
どんなに励まされ、勇気をいただいたことでしょう!!
ほんとうにほんとうにありがとうございました。
あらためてお礼を申し上げます。

すでにテレビやインターネットを通じて被害の全容が明らかになりつつありますが、
被災地から少しでも状況をお伝えできればと思います。

まず、地震の当日、早朝に白鳥が飛び立って行ったことをTwitterにつぶやきましたが、もしかすると何かの前触れだったのでしょうか?


3月11日〈当日〉

いつものように定期的な外来受診。
数値も良く今の治療を継続することで了解し、薬を1ヶ月分もらって、「どらやき」予約を受け取り、帰路についた。
昼食後、ちょっと昼寝でも・・と横になっていたら、遠く南の方からご〜〜〜〜っつ地鳴りがしてきて、ぐらぐらっと揺れ始めました。家全体がギシギシと南北方向に揺れ続け、いったん中休みがちょっとあり、それからはベッドの上で丁度ロデオの馬に乗っているかのように揺られ続けた。

揺れ始めた直後、私の頭上にパニックになった猫がすっ飛んで来たので、足をひっつかみ、抱きかかえて布団をかぶったまま、ただひたすら揺れが治まるまで震えていた。
私の懐で小さな心臓がドクドク音をたて、私も動機が激しくて声を出していないとパニックになりそうで、「大丈夫、大丈夫、絶対に守ってあげるからね」と繰り返し言っていた。

もう、ダメだ、2階は落下するかもしれないし、家の倒壊で下敷きになって終わりだろうなどと覚悟していた。悪夢のような長い時間、「それでも実際はたった6分だっと」地震がようやくいったんは治まったようだ。

階下から娘の声がして、夫も家族全員がまったく怪我も無く無事で本当に安堵し溜め息をつきました。
すぐにラジオをつけると震度7との放送。
落下物が散乱し、ガラスや茶碗が割れているのですぐに靴に履き替えた。
断水に備えてすぐにあらゆるものに水を汲み、浴槽に水を張った。
そうこうしているうちにも大きな余震が続くので、そのたびに玄関ドアを開け、外に出たり入ったりを繰り返し、みんなで動揺していた。隣近所の人達も外に出て屋根瓦の破損を確かめた。

同じ並びの家では、一軒だけが瓦が落ちたくらいでした。
夫が町内会の班長で、隣家が役員さんなので二人で近所を巡回し、一人暮らしの高齢の方の家など安否確認をし、皆が無事だとわかりほっとしたところ、大粒の牡丹雪が振り出してきて急速に気温が低下。

暖をとるにはどうしたら良いか、とりあえずは余震が怖いので薪ストーブは控えた方が良いし・・・
こうなると、旧式の暖房機が無いとどうすることもできません。

我が家では、灯油でボイラーを焚いてオイルを暖めて電力で循環させている方式なので、電気が復旧するまでは全く使えない状態。さて、寒さをどうしたらいいか・・

カセットコンロ、ろうそく、マッチ、乾電池、食料品をチェック。
乾パン、避難用の水、最低限のものは確保。しかし肝心のカセットコンロの予備が無い!!
煮炊きができないとなるとどうしたものか・・・・・

浴槽には赤黒い水が溜まっていた。なにやらヘドロっぽい臭いも・・しかし当面、トイレに流す分だから仕方がない。当日は停電、断水、ガスとすべてのライフラインが途絶えてしまった。
それに加え、夫も、私も携帯の充電が切れてしまって音信不通になってしまった。

そんな中で、唯一の情報源はラジオと娘のiPhone。
Twitterで早速つぶやき開始。

前の家の猫ちゃんがいなくなってしまった。探し歩く娘さんとお母さん。猫はこんな時にどこに避難するのだろうか・・・寒くなってきたのに心配だ。

娘が明るいうちに近くのスーパーに買い出しに行き、数時間並んで後両手いっぱいにカップラーメンやみかん、水などを買ってきた。少しほっとする。

我が家の猫は緊急避難に備えてキャリーに入れ、毛布でくるんで自分たちの足下に置いた。
ただ事でないと分かっているのかみじろぎもせず、声も出さないでいる。

刻々と伝えられる情報によれば、震度は何度も訂正され、最終的にマグニチュード9.0になった。
それを聞いてあらためてたまげてしまった。これがずっと警告されていた宮城県沖地震なのだろうか、

夕方、うちの所員が仕事先からこちらへ避難してきた。家は公団住宅の5階だし、家族は実家に帰省中だという。こういう時に若い男性が一人でもいてくれると心強い。
夕食はカセットコンロでお湯を沸かし、みんなでカップラーメンをすする。

だんだんと日が暮れて行き、強い余震が繰り返しやってくる中、心細い夜を過ごす。夫、所員、娘、猫は1階の打ち合わせ室でテーブルを囲んで椅子で仮眠。災害用のアルミの断熱用フィルムをひとり1枚ずつ配る。火も水も出来る限り節約。
猫はキャリーごと風呂場に連れて行き、ごはん、水など済ませ、猫用トイレで用を足すまで娘が見守った。再びキャリーに入れて戻る。

私は2階の自分のベッドで布団にくるまって寝ることにした。着の身着のままで横になる。疲れがどっと出るが、余震が続くので恐ろしくて眠れない。

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3月12日〈2日目〉
朝になって目が覚めたらすべてが夢だった・・なんて儚い期待を抱きつつおそるおそる目を開けたが以前として厳しい現実が続く。辺り一帯を低空飛行している何機ものヘリの音が、それをいっそう実感させる。

ラジオでは、一夜明けて被害の状況が甚大なこと、地震よりも遥かに甚大な大津波の被害の惨状を伝えていた。耳からの情報だけなのでどれくらいの広がりなのかがわからない。
情報が錯綜する中で、あろうことか福島第一原発の事故の報道も同時に耳に入ってきた。
この上、放射能漏れの危険があるのだろうか・・なんということだろう

朝食にもカップラーメンをすすり、所員は自宅の片付けに帰って行った。
台所の散乱したガラス類を片付けてから、夫は薪割りをし、私と娘はそれぞれに買い出しに出かけた。
車で走ると片側1車線が車の列で動かない状態。みんなどこに何しに行くのだろう。
DIYの店では早朝7時から営業していたとのことで、私が着いた10時ころにはすでに長蛇の列だった。店の人がマイクで放送し始めた。非常用の物は売り切れてしまったそうだ。乾電池、カセットコンロの予備、灯油缶、水など。


とりあえず今あるもので何日しのげるか、もう一度非常用の物をチェック。なんと、ビスケットが25センチ四方の缶に一杯入っていた。最悪でもこれでしのげる。

夕方になり、元スタッフのTさんから嬉しいメール。北側ブロックでは電気が復旧したとのこと。暖かいご飯とみりん干しで夕食をどうぞとのこと。はあ〜、ただただ嬉しくて涙が出る。
こたつに入り、石油ストーブにあたりながら皆で食卓を囲む。なんて幸せな光景だろう。この日、初めてテレビを見た。大画面のせいもあって、あまりの惨状に言葉を失う。沿岸一帯が壊滅状態。
「壊滅」という言葉の重み、実体を、テレビの画面で目にした衝撃。信じられない。まるで「デイアフタートゥモロー」かなにか、映画を見ているかのようだ。

気仙沼から、陸前高田、女川、入り組んだリアス式海岸に添うようにあった海辺の街が跡形もなく消失したところが繰り返し映し出されている。
仙台市の南方では死者が200〜300人という情報あり、何が起きたのか把握できない。


お腹が満たされて少し気持ちが上向きになった。暗くなってきたら、ただ寝るのみ。
猫は常に人のそばにいるようにしておく。


3月13日〈3日目〉
まだ夜中に余震がつづき、なかなか熟睡できず朝を迎えた。
相変わらずカップラーメン、パン、などを食べてしのぐ。
夫が小学校の炊き出しでわかめご飯をもらってきた。給水もできるとのこと。
食後、またまた階下の片付け、とりあえず余震が来ても今以上に散乱しない程度の片付け。
2階の居間は本棚が傾いて本が散乱したので片付けてみるが、元通りには戻せない。

小学校が避難場所として指定されているので、娘と二人で一応様子を見に行ってみた。
のどかな昼下がり。私たちの住んでいる地区では、どこにも地震の被害を思わせるようなものは何も見当たらない。ただ、地面の隆起があったり、小さな亀裂があったりが数カ所みられた。

体育館には、数カ国後で張り紙がしてあり、防寒用の毛布や食料などは持参してくださいとのこと。
避難所なのに???(この辺りは被害が無いから良いものの)

寒そうな室内は土足で出入りすることになっており、お年寄りが数人避難していた。世話役の人らしき人も数人いるのみで閑散としている。炊き出しもその日は予定が無いとのことだった。被害が少ないのだし、家にいる方が大多数の人にとっても安心だろう。

この日も早めに就寝。とにかく寒いので煮炊きのためだけに火を使うだけで精一杯。
久々に肉じゃがを懐中電灯の灯りの中で娘が作ってくれ、暖かい食事ができた。小さな幸せ。


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長文になったので続きはまた明日・・・

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2011年3月 9日 (水)

帰国報告(バーゼルPRRTの旅)

また寒波の影響で寒さが戻ってきました。
今日は北海道、東北から日本海側にかけて広範囲に雪☃のマークです。
春が待ち遠しいですね。


先月から今月にかけて、3人の方がスイスでの治療を受けられました。みなさんから、続々と帰国の報告を頂きましたのでご紹介したいと思います。

バーゼルの赤煉瓦の市庁舎

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まず、30代の若い女性Sさん(非機能性?)
昨年の11月に1回目を受け、そして今年2月に2回目の治療を終えました。
それ以前に受けていた抗がん剤の効果もあり、1回目、2回目ともLu-177での治療となりました。
心配されていた治療後の反応も、ほとんど出ないですんだようです。晩秋、冬それぞれのスイスの旅を楽しんで来られたようでした。


そして、二人目は60代の女性Tさん(ガストリノーマ)
一昨年の秋に骨転移が見つかり、抗がん剤の投与により増悪が抑えられていました。
今年はLu-177での治療が2回とY-90を1回の合計3回で1サイクルという治療計画です。
1回目の治療は反応もほとんど出ずに済んだようでした。


3人目は40代男性のSさん(VIPオーマ)
この方は現在、TS-1とサンドスタチンLARの併用で症状の緩和をしています。
ところが、PRRTを受ける前にはこの筋肉注射を中止しなければならず、症状のコントロールに苦慮されていました。(PRRTはソマトスタチン受容体が放射性物質を取り込む性質を利用しているため、一時的にサンドスタチンは使えなくなります)

Lu-177で1回、その後Y-90を2回、合計3回の治療計画です。
2月末に1回目の治療を受けられました。治療後に吐き気や倦怠感などの反応が強く出たために、帰りの旅ではかなり疲弊してしまったそうでした( ̄Д ̄;;。

治療後の反応も、快復の仕方にもその人その人のペースがあります。
Sさんが一日も早く快復できますように心から祈っています。

ところで、Sさんからの朗報です。
Sさんが今回依頼された通訳さんは、病院の秘書のBRIGITさんから紹介された方だということです。日本人の女性で、結婚してレーラッハに在住している方です。バーゼルにあるノヴァルティス社で日本語を教えている方だそうで、これまでにも3人の日本人の患者の通訳をされたことがあるとのことでした。

遠い日本から治療を受けに来る患者さんの役に立てれば嬉しいと、ご本人から病院側に申し出て下さったようなのです。
バーゼル行きを希望されていて、現地での通訳に困っているという方は検討してみても良いかと思います。何か困った時に拠り所になってくださる方の存在は、言葉が不自由なだけでなく、病気を抱えて不慣れな土地を旅している者にとってどれほど支えになるでしょう。

それに病院の研修医?にも一人日本で研修を終えた医師がいるとのことです。
少しずつですが、私たちにとって最難関の言葉の壁も以前よりぐんと低くなりました。

病室から見える景色。緑がふんだんにある病院の庭

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Sさんご夫妻は、私と同じく今回が初めての海外旅行でした。
初めての旅が治療を受けるための旅というのは、どれほど心細いものかわかりません(;´Д`A ```

旅慣れないせいでの緊張や、聞き慣れていないドイツ語だし、言葉の面でのストレスなど、なにもかもが初体験のために疲れが倍増してしまったのかもしれませんね・・(^-^;

私も、旅の手配や通訳さんの依頼などを自分でやりましたが、本当に現地で宿が取れているのかどうかも不安で不安でたまりませんでした。しかも老眼の目には表示が見えにくくドイツ語はまったくちんぷんかんぷんで意味不明。
また、空港のカウンターでは、(友人からのアドバイスで、「今にも死にそうなくらいに、病人であることを大げさなくらいにアピールすべし」)を忠実に実行したつもりでしたが、それでも気恥ずかしくて控えめ??だったかもしれません。


車椅子の手配など、航空券の予約時に依頼しておくと(出発時、到着時とも)広大な空港での移動が比較にならないくらいラクチンです。税関の通過、荷物の受け取りも手伝ってくれます。
こんなときこそ、「がんサバイバー」であることに誇りをもって、手助けを求めて良いと思うのです。
(ハンディキャップのある人や病人に対しては接し方が違うことを痛感しましたので)

日本人の「忍耐は美徳」なんて、ぜった〜い通用しません!!!
具合が悪い時も、痛いとかなんとか、本当に大げさなくらいに表現しないと、あちらの方から気をきかせて何かやってくれるなんてことは絶対にありませんね〜。

もし、今回の旅で、あちらの人たちは冷たくて不親切だと感じた方は、次回、思い切って図々しいくらいに要求を伝えてみましょう!! ( ̄∇ ̄*)ゞ 

こちらは病院の付属ホステルの部屋から見た向かいのカフェ
夏は外のテーブル席で夜遅くまでおしゃべりしてて楽しそうでした。

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2011年3月 7日 (月)

てこずってます

本日私は怒り心頭。\(*`∧´)/
なににって、そりゃもちろんふがいない首相に対してです。
従来の自○党内閣の悪い部分だけはしっかり踏襲しているように見える昨今。


いえいえ、そうではなくてもっと卑近な話題です。


今朝、またもやおしっこ!
しかも私の寝ている布団の上にジョオーッと!!!やってくれました!

朝寝坊していたので起こそうとするつもりだったのか、「ミャオー」と啼いても私が起きて来ないとみると、お布団の上に飛び乗ってすかさずおしっこ。Σ( ゜Д゜)ハッ!

その瞬間、私は跳ね起き、毛布の上の液体ともども猫を吹っ飛ばしてやりました!!!

もう、もう、もう、も〜〜〜〜〜〜っつ!!ヽ( )`ε´( )ノ

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最近とみに成長著しく、来月10日で生後6ヶ月になり、もうじき去勢を施さなければならない時期。本来の猫がそうであるように、活動時間もだんだん夜型に移行していた感あり。
でも、人間はとても付き合いきれません。
そのため、夜はテレビのある部屋に閉じ込めていたのですが、最近は早朝からドアをドンドン叩きながら大騒ぎするようになって閉口。( ̄○ ̄;)!


娘が夜更かしするせいだとか
夫が夜更かしするせいだとか
夜は暖房を切るので寒いせいだとか
いろいろと擁護してきたつもりでしたが


その一方、おしっこの粗相も回数を重ねており
そのたびに羽毛布団丸洗いできるコインランドリーヘ

人間の鼻では臭いは取れているように思うのですが、猫は自分の臭いが一度ついたものには敏感なのだそうです。となると、我が家のお布団は、もう、全部がダメなのかしら・・・トホホ・・・・(。>0<。)

もう〜、ダメです。

こいつめこいつめこいつめー!!

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尿路系の病気の疑い?
あるいはオス猫独特のマーキング?
去勢で治るのか、外へ行けないストレスのせいなのか・・・


同じ灰色猫でも先住のこの方はとってもお利口さんだった。

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2011年3月 3日 (木)

雛祭り

今日は雛祭り。
googleもおひなさま仕様

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このシンプルな内裏びなは、実家の母からの娘への贈り物。
毎年出しっ放しでしまい忘れる事度々・・・(u_u。)

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でも、仙台では雪がちらつき寒い日です。
午後から羽毛布団をもってコインランドリーに行かなくちゃ・・(。>0<。)
(タオちゃんにおしっこされてしまった)

でも、今日の一番嬉しいニュースはこちら

スティーブ・ジョブズ復活

Twitterでまことさんが紹介していたので知りました。
動画を見たら、とても力強い声だし、元気そうじゃないの。
ほんとに嬉しいです。
私たちと同じ膵内分泌腫瘍の患者であり、AppleのCEOであるジョブズ氏にはMacユーザーとしてもとても親近感を感じていますし、一昨年には、バーゼルでのPRRT治療を受けていたこともニュースに取り上げられていました。

PRRTの仲間としてのつながりもあるなんて嬉しいことです。彼にはもう少し元気でいて欲しいものですね。o(*^▽^*)o 独創的で革新的なアイデアで、もっともっとわくわくするようなITの世界を広げて欲しい!

おひな様とタオちゃん

猫は花よりだんご・・この後、お花をむしゃむしゃやってました(゚ー゚;


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お正月早々、次女のお布団におしっこして以来、家族みんなが彼のおしっこの洗礼を受けたことになります。
でも、やっぱり憎めませんね・・・・
こんな寝姿なんて、もう〜  たまらん!!    ⊛(◔ั◡◔ั)⊛

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窓辺でのツーショット

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