PRRT4回目の旅3 退院
さて、すっかり更新が滞ってしまいましたが、その後の経過をご報告します。;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
そして、病棟が工事中のために毎日この人が窓の外にいました。
ライナー・チムニクの『クレーン男』の事を思い出しました。
彼がいつどのようにしてあのクレーンに登っているのか、結局、退院まで謎のままでした・・
今回は、90-Y DOTATOCの静脈注射の際に、これまで感じた事の無いような震えが来ました。
薬液が全身に沁みわたる感覚・・・強いて言えばCT検査で造影剤を注射した時の感覚。
それがもっと強烈で、その後全身が小刻みに震えてました。
これまでは、薬液が入る時に針が刺してある部位に、ちょっとピリピリと焼ける感じがあるくらいでしたが、骨転移が広がったせいなのか全く違っていて自分でも驚きました。
その夜、同室の女性が眠れない様子にちょっと気になりながらも自分は爆睡。
熱も少しあったのか、気づくと汗ばんでいたり、あるいは時々何かを蹴飛ばしていたり・・
鎮痛剤と座薬を使って痛みのコントロールはできていたけれど、その後、むくみがひどく顔が倍くらいに膨らんで身体が重い。
そしていつになく喉が渇くので、病室に備えてあるペットボトル入りの硬水を、毎日1リットルずつ飲めた。これまでどんなに努力しても喉を通って行かなかったのに、今回はすんなり飲めて不思議。w(゚o゚)w
翌日は、午前中に、腹部と全身二つのスキャンを受けて終了。
日本で受ける検査との違いは、食事を普通にとっても構わないこと。
検査の待ち時間、廊下にはアメリカ人らしき男性、スペイン人らしき男性とその通訳。
私を案内した看護師の男性は、フランス人で英語とフランス語が堪能。
ここはヨーロッパなのだと強く意識させられます。
同室の彼女は、もうひとりのハンガリー男性患者とその通訳の人相手に、ドイツ語とハンガリー語でお喋り。
アジア人は私ひとり。ぽつねん・・・・
夕方、担当のニコラ先生が来て簡単な説明。
おそらく今回も治療の効果が期待できるとのこと。私が頭蓋骨腫瘍の増大が気になっていると言うと、その心配は無いとの事。しばらく効果が持続するのを祈るような気持ち。
3日目の朝、全身のスキャンをとって検査終了。
担当医からの説明は10時。
通訳のKさんの到着を待って、同室の女性とそのご主人からようやく話を聞くことができた。
彼女は、小腸原発のカルチノイドで、肝転移あり。
ハンガリー国内で一度開腹手術を受けたそうだが、何もできずにそのまま閉じてしまったそうだ。
手術の翌日、自分の母親が同じように腸のがんで亡くなった為、ショックで激やせしてしまい、ようやく快復してきたばかりとの事だった。
私の疑問。なぜ、同じ治療を実施している他のヨーロッパの国ではなく、スイスを選んだのかと尋ねると、他の国々(スエーデン、イタリア、ドイツ、オランダ)ではLu-177を使用しており、唯一スイスだけが90-Y DOTATOCを使用しているからだとの答え。
おそらく、治療の回数が少なくてすむからなのか・・
ハンガリーでは、NETの治療に対して、PRRT2回分の治療費を保険でカバーしてくれるとの事。
なんてうらやましい!!
その為、30%の患者がこの治療法を選択するのだそうだ。
しかし、国が貧しく、二つの修士号を持つ彼女でさえも教師の収入は月収4万円程度。
3回目以降の治療費を稼ぐ為に、ご主人はオーストリアで出稼ぎしているのだそうだ。
今回も飛行機代が出せないので、車で来たというご夫婦。
あまりにも国情が違うことに驚きを隠せなかった。私よりはるかに知性も教養もあり、社会的な評価を受けるべき人がそんなに低収入だとは・・
実は、このご夫婦、ご主人が病室にいる間はずっと、ほとんど途切れる事なく良くお喋りをするのでした。私は、日本人の熟年夫婦にありがちな沈黙の時間が無い事にひそかに感心していたのですが、そんな実情があったとは・・・。なんとも切ない気持ちになりました。
そしてご主人の話では、ハンガリーでは、ここ20年くらい若年層のガンが多発しているということも。彼は環境汚染のせいだというけれど、私たちはチェルノブイリ原発事故との関連が頭に浮かび、複雑な気持ちでした。
そして約束の10時をずいぶん過ぎた頃、担当医に呼ばれて最後の説明を受けました。
担当医は、背が高く丸い目のハンサムなニコラ先生。
今回、骨転移部分も含めて取り込みが非常に良く、効果が期待できるとのこと。
その反面、骨髄抑制が起きている懸念があること。
おそらく血液の数値がかなり悪いレベルが続くと思われる。
4回目なので、以前よりも快復がゆっくりだと思われる。
心配していた腰椎の骨に関しては、歩行は可能な程度の強度が保たれている。
今後、1、2週間の間は、治療後の一時的な反応のせいで、痛みが強くなるかもしれない。
痛み止めを増量して対処するようにとの事などだった。
説明を受けてやっと、ここまで来て治療を受けた甲斐があったと感じ、ほっとした。それと同時に、帰国後まもなく、熊本の実家の法事に行けるのかどうか心配になった。
病室でハンガリー人のご夫妻に別れを告げ、お世話になった看護師のマルティンさんたちに挨拶して退院。
しかし、この後、バーゼルの駅前で待ち合わせていたブログ友の「たくわんさん」を長時間待ちぼうけさせるはめに・・ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ
つづく・・











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